近所の野生動物

本州から北海道に来た人が道沿いにキツネを見ると、大変驚いて写真などを撮るものだが、しばらくすれば物珍しさも色褪せてキツネなんぞは居てあたりまえ、という風になってくるものだという。
かくいう私も物珍し組の一人なのだ。
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庭に遊びに来たキツネ。尻尾に傷があって、ひねた顔をしている。
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鹿もまた、山に行けばうじゃうじゃいるという感じなのだが、ついつい足を止めて見てしまう。そうすると向こうもこちらを観察して、お互い目を合わせて動かない。
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オオワシに関しては、こんなに至近距離で見られることはめったにないのでうれしい。体長1m、翼開長2mを超える、王者の風格を持つ猛禽類。
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# by akisiko | 2006-04-09 21:52 | | Comments(0)

〈旧三月十一日〉 流氷

今年は雄武町に流氷が接岸しない年であった。流氷が来ないというのは珍しいことらしい。
あの白い海原の風景が見られなくて残念だなぁと思っていたら、この時期になって流氷の残骸が流れ着いてきた。
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氷塊は波にもまれて丸くなり、波打ち際で汚れている。
長旅に疲れきっているのかい?オツカレサマ。
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# by akisiko | 2006-04-08 22:48 | | Comments(1)
先日、用事があってまた北見に行ってきた。(大型免許交付のため。無事取得!)
例によって、棚が充実したあの本屋へ立ち寄る。
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「アイヌ文化の基礎知識」

アイヌ民族博物館 監修 (草風館)

北海道に住み始めて日が経っていないのにえらそうなことを書くようだけれども、土地の人々の暮しの知恵や慣習を見ていると、どうも他の日本国内の田舎に比べて奥深さがないように感じる。確かに漁師には漁師の、農家には農家の、北海道に生きるにおいて必要な知恵があるのだろうけれども、それには理屈ではない絶対的な「知慧」が見えないような気がするのだ。
それはやはり、ここに住む人の大多数が本州から来たヤマト民族の末裔であり、北海道では短い歴史しか持っていないからであろうか。

北海道には先住民族がいた。
彼らには先土器時代から続く長い歴史があり、厳しく豊かな大地に息づく深い知慧や信仰を持っていた。
しかし現在、その民族の文化はそれほど多く残されていない。というより、ほぼ絶滅したというほうが正しいかもしれない。
それには多数の原因があって、私がここに書けるほど単純なものではないのだが、そのひとつには彼らは文字を持たない民であり、口頭で文化継承するのを常としていたからだという。
一度失われたら、二度と取り戻せない方法で古代から伝えられてきたのだ。

「私たちは耳で聞いたことを、すぐノートに書きつけますが、昔の人たちは全部その場で覚えてしまわなければなりませんでした。その代わり、知識というのはすべて頭に入っていて、いつでも取り出せるようになっているわけです。
(中略)
アイヌのおじいさんやおばあさんに話を聞くと、その物覚えのいいこと、博識なことにいつでも驚かされます。それは忘れてしまったら二度と取り戻せないという気持ちで、いつでも物事に接してきたからです。」

私はこの地で、表面的には現代の生活スタイルを持ち、大量消費社会の一部に所属しながら生きている。
しかし根源的な命がこの土地にある限り、先人の知慧や信仰やあるいは大自然をいつも心のどこかに感じて、それに依存して生きてみたい。

それには、この本に書かれていることを情報として読んだところで何にもならないのだが、文字を持つ民としての私は、そうせざるを得ない。
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# by akisiko | 2006-04-07 15:57 | | Comments(0)
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室内のプランターに播いた野菜の種が芽を出した。
一方、外はまだ白い雪の世界。

明日から天気は下り坂で、また吹雪になるようだ。
でも地元の人によれば、それを通り過ぎれば本格的な春がやってくるらしい。

今週には二十四節気の清明を迎える。
清明とは、「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」。
写真の芽は・・・まだ何だかわかりませんね。
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# by akisiko | 2006-04-02 23:42 | | Comments(4)

雄武町の語源

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北海道地名誌 (北海教育評論社)

雄武町の図書館でこの本を借りる。
北海道の地名にはアイヌ語を由来としたものが多いが、その語源を解説した書である。
各市町村ごとに、山岳、河川、岬・海岸、字名・地区名が列挙されていて、その起源が詳細に記されている。

私の住む町・雄武(おうむ)の語源は「オ・ム・イ」。河口がふさがるところという意味らしい。
オムイ。やさしくも荘厳な語感ではないか。
(というわけで、本ブログのタイトルもそこから拝借して変更することにした)
その名のとおり、岩盤の上を山から流れ下りてきた雄武川の渓相は、下流でいったん停滞し、海に注ぐ終着点は上流の激しい流れが信じられないほどに狭まっている。

もうひとつ、近隣で気に入っている川、幌内川。
幌内という地名は北海道各地にあるようだが、この語源はポロ(大きな・大事な・魚が豊かな)、ナイ(川)の意。これもまた、いい名前である。そんな名を持つ川に足を踏み入れることが出来るというのは幸せとしか言いようがない。

道内のほかの地名にも目を通してみると、古来ここに住んできた民族が自然をよく観察して名づけたものばかりだということに気が付く。
「水の中が歩きにくい川」、「年老いた岬」、「鹿が登ってゆく土地」、「菱を採る沼」・・・。
厳しい自然のなかで生きてきたアイヌ民族の世界観が、現代の北海道に残っているのだ。

それらの名前と土地の自然を過去のものにするか、未来に残すか。
かつてアイヌを滅ぼした私たち大和民族が取るべき道はひとつしかないが、その道は曲がりくねっていばらの多いものである様に見える。
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# by akisiko | 2006-03-31 17:40 | | Comments(0)
「アニミズムという希望」 (山尾三省著・野草社)について生意気にも書評じみたことを書こうと思っていたのだけれど、それはあまりに身の程知らずだったということが、この本を読み終えた後の感想だ。

この本は、著者の5日間に渡る琉球大学における講演の記録であるが、わかりやすく論理的で叙情的な語り口とともに多数の詩の朗読や宮沢賢治論、小林一茶論、西洋哲学、インド哲学などなど多彩なテーマを巡ってゆく。その行き着く先、というか基底にあるのがアニミズムだ。

前回ここに書いた、私が読前に思っていたことに対する答えとなるような文章が記されていたので多少長くなるが引用しよう。

「縄文杉は、私にとっては縄文杉というカミの樹なんですが、皆さんもご自分の木というものをこの世界のどこかに見つけるといいと思うんですね。ただ一本の樹木でも、それを自分のカミの樹として持つことができるなら、世界はそれだけで意味を回復します。
(中略)
自分の生きることと死ぬことをかけて大事に出来るような樹木というものを探すことですね。
(中略)
自分の生死を託すほど大事にする木というものを見つけてしまうと、生きるということがずいぶん豊かに、楽になります。
(中略)
それはまったく個人によって成り立つ個人のための宗教です。パーソナルな宗教ですね。パーソナルな宗教の神様を『カミ』といいます。」

「太古の昔よりもっと昔の昔の頃から、人間に深い喜びを与えてくれるものに対して、人はそれをカミと呼んできたのではないかと思うんです。ですからカミの起源は、美しいもの、喜びを与えてくれるもの、安心を与えてくれるもの、慰めを与えてくれるもの、畏敬の念を起こさせるもの、そういうものは何でもカミであり、現代においてもそれはいささかも代わらないと思うんです。」

著者はこのアニミズムという考え方が、現代を生きるにおいて、個人にとっても社会にとっても重要な方法論であるのではないかと論ずる。個人の自由を勝ち得たがために行き場をなくし、経済至上主義という神話に行き詰まりを感じ、環境問題に直面するわれわれが回帰すべき思想だ。

さて、私は今、北海道というカミの地に住んでいる。カミ=アイヌ語でカムイだ。ここにはカミの魚である鮭(カムイチェプ)が住み、山のカミである熊(キムンカムイ)が住む。
足を一歩踏み出せば、そこここにカミが宿っている。それを実感できる土地だ。
この地に住むことになったこと、そしてこの本に出会ったことに感謝をして、明日に向かおう。
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# by akisiko | 2006-03-27 19:06 | | Comments(2)