<   2006年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

雄武町の語源

d0051707_1731314.jpg

北海道地名誌 (北海教育評論社)

雄武町の図書館でこの本を借りる。
北海道の地名にはアイヌ語を由来としたものが多いが、その語源を解説した書である。
各市町村ごとに、山岳、河川、岬・海岸、字名・地区名が列挙されていて、その起源が詳細に記されている。

私の住む町・雄武(おうむ)の語源は「オ・ム・イ」。河口がふさがるところという意味らしい。
オムイ。やさしくも荘厳な語感ではないか。
(というわけで、本ブログのタイトルもそこから拝借して変更することにした)
その名のとおり、岩盤の上を山から流れ下りてきた雄武川の渓相は、下流でいったん停滞し、海に注ぐ終着点は上流の激しい流れが信じられないほどに狭まっている。

もうひとつ、近隣で気に入っている川、幌内川。
幌内という地名は北海道各地にあるようだが、この語源はポロ(大きな・大事な・魚が豊かな)、ナイ(川)の意。これもまた、いい名前である。そんな名を持つ川に足を踏み入れることが出来るというのは幸せとしか言いようがない。

道内のほかの地名にも目を通してみると、古来ここに住んできた民族が自然をよく観察して名づけたものばかりだということに気が付く。
「水の中が歩きにくい川」、「年老いた岬」、「鹿が登ってゆく土地」、「菱を採る沼」・・・。
厳しい自然のなかで生きてきたアイヌ民族の世界観が、現代の北海道に残っているのだ。

それらの名前と土地の自然を過去のものにするか、未来に残すか。
かつてアイヌを滅ぼした私たち大和民族が取るべき道はひとつしかないが、その道は曲がりくねっていばらの多いものである様に見える。
[PR]
by akisiko | 2006-03-31 17:40 | | Comments(0)
「アニミズムという希望」 (山尾三省著・野草社)について生意気にも書評じみたことを書こうと思っていたのだけれど、それはあまりに身の程知らずだったということが、この本を読み終えた後の感想だ。

この本は、著者の5日間に渡る琉球大学における講演の記録であるが、わかりやすく論理的で叙情的な語り口とともに多数の詩の朗読や宮沢賢治論、小林一茶論、西洋哲学、インド哲学などなど多彩なテーマを巡ってゆく。その行き着く先、というか基底にあるのがアニミズムだ。

前回ここに書いた、私が読前に思っていたことに対する答えとなるような文章が記されていたので多少長くなるが引用しよう。

「縄文杉は、私にとっては縄文杉というカミの樹なんですが、皆さんもご自分の木というものをこの世界のどこかに見つけるといいと思うんですね。ただ一本の樹木でも、それを自分のカミの樹として持つことができるなら、世界はそれだけで意味を回復します。
(中略)
自分の生きることと死ぬことをかけて大事に出来るような樹木というものを探すことですね。
(中略)
自分の生死を託すほど大事にする木というものを見つけてしまうと、生きるということがずいぶん豊かに、楽になります。
(中略)
それはまったく個人によって成り立つ個人のための宗教です。パーソナルな宗教ですね。パーソナルな宗教の神様を『カミ』といいます。」

「太古の昔よりもっと昔の昔の頃から、人間に深い喜びを与えてくれるものに対して、人はそれをカミと呼んできたのではないかと思うんです。ですからカミの起源は、美しいもの、喜びを与えてくれるもの、安心を与えてくれるもの、慰めを与えてくれるもの、畏敬の念を起こさせるもの、そういうものは何でもカミであり、現代においてもそれはいささかも代わらないと思うんです。」

著者はこのアニミズムという考え方が、現代を生きるにおいて、個人にとっても社会にとっても重要な方法論であるのではないかと論ずる。個人の自由を勝ち得たがために行き場をなくし、経済至上主義という神話に行き詰まりを感じ、環境問題に直面するわれわれが回帰すべき思想だ。

さて、私は今、北海道というカミの地に住んでいる。カミ=アイヌ語でカムイだ。ここにはカミの魚である鮭(カムイチェプ)が住み、山のカミである熊(キムンカムイ)が住む。
足を一歩踏み出せば、そこここにカミが宿っている。それを実感できる土地だ。
この地に住むことになったこと、そしてこの本に出会ったことに感謝をして、明日に向かおう。
[PR]
by akisiko | 2006-03-27 19:06 | | Comments(2)
前回の書評の続きは先送りにして、今回は春の風景を。
東京では桜が咲き始めたようだが、こちらではふきのとうが満開。
d0051707_22265858.jpg

春、真っ先に顔を出す黄緑色。
川沿いの土手はまだ冬色のままだけれども、地中では他にも様々な命がそのエネルギーを噴出させようとうごめいているようです。

北のふきは「アキタブキ」といって、葉が1.5m、茎2mにも育つ大型種。
ふきのとうもジャンボサイズで食べごたえがあります。

ふきの花見をしつつ、まだ開いていない幾つかを摘む。
刻んで味噌汁に散らすのが、その香りが一番生きるので好きです。
[PR]
by akisiko | 2006-03-26 22:47 | | Comments(0)
ここから150kmほど離れた北見という地方都市に立ち寄った際に、気の利いた本屋を偶然に見つけた。規模自体は小さい「街の本屋」なのだが、棚の内容が秀逸なのだ。書店人の知徳を見せつけてくれる店といえようか。こういう本屋は、地方都市では見つけがたい存在だ。そして、そんな店に入ると、どうしてもなにか買わずにはいられない。
そこで買った本のひとつがこれだ。
d0051707_22334236.jpg

「アニミズムという希望」 山尾三省 (野草社)

アニミズムとは、森羅万象の中に霊魂あるいは精霊が宿っているという考えである。私も山や森、また海の中に神さまたちがいると思っているし、それが神道のもとになっているということは知っているけれど、それが現在「宗教」と呼ばれているものとどうつなげればいいのか良くわからずにいる。私はいわゆる「無宗教」なのか否か。日本人の多くが仏教・神道・キリスト教ごちゃ混ぜの多種の宗教的イベントには参加するが、日常的には中立である。はたして彼らは無宗教なのか否か。
日本人は自然が即ち神であるという考えの元に生きてきた民族であるけれども、その価値観はいったいどこから来たのか。
これからも自然の庇護の下で生きていくものとして、この本を読んでみようと思った。
次回はこの書についてもっと詳しく書いてみたいと思います。
[PR]
by akisiko | 2006-03-23 23:00 | | Comments(0)
旭川に住む知人から、天然のワサビを送っていただきました。
きっと旭川のほうでも山は雪に閉ざされていることでしょうが、水温の安定する湧水域に採りに行ったということなのでこれほど緑が息吹いていたのでしょう。
春を先どる山の恵みです。
d0051707_22273891.jpg

酒粕を買ってきて、わさび漬けを作ることにしました。
d0051707_22323429.jpg

少しつまみ食いしてみると、やはり山の栄養たっぷりの土の香りがほのかにします。
爽やかな中にも強い命の味が感じられる。
辛味のほうは、まだ作ったばかりなのでそれほど出ていません。
2、3日してつーんと強烈な刺激が味わえるかどうか、楽しみです。
[PR]
by akisiko | 2006-03-21 22:36 | | Comments(0)

北海道新聞社の本


d0051707_144301.jpg

「しれとこライブラリー④ 知床の魚類」 (北海道新聞社)

こっちに来る前に神田の古本屋街でたまたま見つけたこの本。
貴重な写真が多くて、魚好きにはたまらんです。そして専門的記述が多いわりにとっつきやすい。淡水魚の章は、北海道のサケ科魚類研究の中心人物、小宮山英重氏が執筆。これを読んでいると、長年の研究成果を記した文の行間に、氏の北海道の川に対する熱い想いが見えてきます。

しれとこライブラリー・シリーズは現在刊行中ですが、他にも「知床の哺乳類」「知床の昆虫」「知床の植物」などが出版されているようです。今でこそ知床は世界遺産になって、関連書もピンからキリまで出ている、あるいはこれから大量に出版されるのだろうけれど、こうやって自然の各部をミクロ的・学術的に捉え大衆に知らせる本は少ないと思います。これからこのシリーズを少しずつ集めてみようと思っています。


住んでいる町の周囲100kmには行くに値する本屋など皆無なのだけれど、それでも郷土関連のコーナーには面白そうなタイトルが並んでいます。
先日購入したのはこの本。
d0051707_14431367.jpg

「北海道 山菜実用図鑑」 (北海道新聞社)

山に緑が吹き出す春にむけて山菜を覚えようと買った本です。
写真がきれいで、かつタイトルどおり「実用的」。どのくらいの大きさの芽が取りごろか、わかりやすい。ちょいとしたウンチクが各所にちりばめられていてとても勉強になります。ある草はアイヌの貴重な食糧だったとか、ある草の根は朝鮮人参の代用として使われていただとか。
北海道の地元の人が食べない山菜まで載っていて、著者の山岸喬という人、相当の知識を有すると見た。この人は他にも「北海道薬草図鑑(野生編・栽培編)」(同じく北海道新聞社)なんていうのも書いていて興味をそそられます。

というわけで、北海道新聞社はなかなかいい本を出しているようです。
北海道の自然を一から学びたい私にはもってこいです。
[PR]
by akisiko | 2006-03-19 14:44 | | Comments(0)
穏やかな太陽が出て、気温が上がった。

町営住宅の猫の額ほどの庭で今年は家庭菜園をしようと思うので、ひざ上まで積もっている雪を除けた。雪を早めにかいておけば地温も早く上がるだろう。でも、播種するのはまだ先のことだ。
夏が短い北海道でナスやトマトやきゅうりなどの夏野菜を育てるより、野菜が不足する冬に備えて大根や白菜を植えたいと思っている。でも、こんな小さな菜園じゃ、冬のあいだに食べるものすべてはとっても作りきれない。思い切って香味野菜だけにしてみようか。寒さに強い果樹も少し植えたいな・・・そんな風に土いじりの計画を思うのは楽しいものだ。

農作物を自分で作ったことなんて無いし、北海道の生活も初めてだ。この菜園が今年うまく行くとは思えないが、やってみなけりゃわからない。

そして山に行ってみると、南向きの斜面ではふきのとうが顔を出していた。
d0051707_2152519.jpg

さっそく摘んで、雪の下から出てきた香りを楽しもう。
群馬にいた頃、おばちゃんたちが春になるといつも作ってくれた「ふきのとうのお焼き」を思い出して作ってみる。
年季の入ったあの味にはかなわなかったけれど、ふきのとうをたっぷり入れたせいでほっぺたの奥のほうまでほろ苦さが染みた。

よし、これで春を迎える準備ができた。
d0051707_1852151.jpg

[PR]
by akisiko | 2006-03-16 18:54 | | Comments(0)

釧路川のアメマス

友人と連れ立って釧路川に遠征にゆく。

私の住む町から釧路まで、ざっと300kmはある。本州から見れば北海道はひとつだが、そこは広大な土地なのだ。
車内で2泊しながら、湯を沸かしてカップラーメンをすすりつつ、アメマスという北の魚を狙おうという目論見だ。
d0051707_2262029.jpg

足を踏み入れた釧路川は、ぼうぼうとした冬枯れの湿原の中を大きくうねって進む河だ。
雪の残る葦原に、枯木のように突っ立って竿を持つ。
カモの風切羽根がうなる音が聞こえる、対岸ではシカの群れがこちらをじっと見ている。

状況は申し分ないようにみえる。しかし、ここもまたやはり、荒みきってせっぱ詰まった日本の一部であった。
朝も空気がぬるむ時間になれば、河岸に乗り付けてくる車が増えてくる。
そしてそれぞれ一定間隔を保って釣り人同志諸君が立ちこむ。
同志諸君のやり方は、開高健の言った「やらずぶったくり方式」である。
釣れればそれでよし。魚の顔を見るためには理性も哲学もない、というあれである。
ルアーで駄目ならワームで、それでも駄目なら餌で。鉤は、リリース(釣った後に逃がす)を前提にしているにもかかわらず、例外なくカエシありの三本針。
われわれが入ったポイントの周囲にはこちらの岸に道が一本あるきりである。そこに入れ替わり立ち代り釣り人が入っては魚を叩いて、いじめていく。だんだんと魚もいじけて釣れなくなってくる。
そして噂が立つ。「アチラの岸にはウブな、釣りやすい子が残っているらしい」。
それから人々はボートを持ち込み、対岸までエッチラと漕いで渡り、そのウブな子をいじめにかかる。

流れのたまりに、鰓から血を流しながら白い腹をみせてあえぐ大物が浮かんでいるのを見た。この大物は誰かに釣られて、三本針の掛かりどころが悪かったのか、写真撮影のために長い時間空気にさらされていたのか。

私はそんなエグイ光景を見てしまっても、魚の顔を拝まなければ気がすまなかった。
2日間、霧雨や冷たい風にさらされながら厚い流れにルアーを投げ続けて、アタリは二回だけ。どうやら魚たちのご機嫌の悪い日に当たってしまったようだ。
それでも、やっとの思いで一尾のアメマスに出会うことができた
d0051707_21454774.jpg

北の精・アメマス44cm

鉤の刺さった口辺から滲む赤が、眼に沁みた。

後から聞くと、こんなに魚の反応が渋い状況は釧路川でも珍しいらしい。
それはあるいは、アメマスの抗議の声か、苦痛の叫びか。
[PR]
by akisiko | 2006-03-11 21:44 | | Comments(0)

旧暦日記

旧暦とは月と太陽の運行を両方取り入れた、中国生まれ日本育ちの暦である。現在の太陽の運行のみを取り入れた「グレゴリオ暦」と比べて、モンスーンアジアの繊細な季節の移り変わりが反映されるように緻密に計算されたカレンダーだ。

以前からこの旧暦を生活に取り入れようと考えていたが、このたび「旧暦日記」なるものをはじめた。
その日に目立った季節の特徴を旧暦上に記録する。その日が旧暦上ではどんな季節に当たるのか、古来の知恵を参照する。そしてこの新しく住み始めた土地がどんな自然の流れのなかにあるのかを探ろうというのが目的だ。

たとえば今日3月6日・旧二月七日、二十四節気では啓蟄に当たるが、それに先駆け2日前、我が家では冬眠していたワラジムシが一匹、いそいそと部屋の隅から出てきたのを日記に記していた。啓蟄とは「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」という日である。古来のカレンダーがいかに正確に時節を言い当てるかを実感した日であった。
(とはいえ、二十四節気は太陽の周回軌道を24等分しただけのもので、必ずしも太陰太陽暦固有のものというわけでもないのだが)

また、この日記には釣果の記録や水生昆虫の発生状況、山菜の取れる時期、海の魚群が巡ってくる時期なども書き記そうと思っている。季節の移り変わりに密接にリンクし、月齢と共に日を重ねる旧暦では、自然の恵みを受けられる時期をほぼ正確に予測できると考えられるからだ。

ゆえにこの日記は一年ばかりつけたところであまり意味を成さない。自分の立つ場所において自然の定点観測を数年間続けることによってはじめて、古人の知恵が理解できるのではないだろうか。

d0051707_141372.jpg

旧暦と暮らす【スローライフの知恵ごよみ】

松村賢治 著 ビジネス社

旧暦の勉強に使った書です

[PR]
by akisiko | 2006-03-06 13:00 | | Comments(0)
カンジキを履いて山でも歩こうかと出かける。
2月になれば陽の射す日には空気も緩む。

しかし、少し車を走らせたところで突然の雪に見舞われる。
出てくるときには太陽が見えていたのに・・・
こんな天気の変化がここではよく見られる。
コチラでは晴れているのにアチラは雪。
隣町の天気がまったく読めない。---隣町といっても10kmも20kmも離れているのだが。

視界50m。これじゃだめだわ・・・

d0051707_16281074.jpg

これからのホームグラウンドとなる幌内川はまだ雪と氷の中で眠っている


d0051707_16331180.jpg

濁った視界ににじむ太陽。冬と春がせめぎあっているのだろうか

[PR]
by akisiko | 2006-03-04 16:34 | | Comments(0)