カテゴリ:書( 8 )

山と釣りと本

旅行用に読む本を探そうと思って神保町を徘徊。面白そうな本が次々と目に入ってきて、ついつい買いすぎてしまった。
釣り旅行前ということもあって、選んだテーマは必然的に「山」「釣り」「旅」になった。
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「山里の釣りから」 内山 節  農文協 2014
哲学者・内山節の著作集が農文協から発売されていて、絶版となっていたこの本がまた手に入るようになった。
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「サバイバル登山家」 服部 文祥  みすず書房2006
情熱大陸を見て、愚直なまでのストイックさ、裏腹にもつ無邪気さ、そして滑落シーンにちょっと衝撃を受けて著書も読んでみようと思った次第。
日勝峠からえりも岬まで24日間で縦断するサバイバル山行など、常人には信じられない内容。
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「サバイバル!ー人はズルなしで生きられるのか」 服部 文祥  ちくま新書2008
 
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「全ての装備を知識に置き換えること」 石川 直樹  集英社2009
私と同じ年齢の冒険家・写真家のエッセイ。
無駄をそぎ落として、よりシンプルに。序文ではpatagoniaの創業者イヴォン・シュイナードとの対話を通して、現代における冒険の方向性を確かめる。
今回の旅で読むにはうってつけの一冊。
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「ヒマラヤを釣る」 根深 誠 山と渓谷社1989
立ち寄った古書モールというスペースで出会った一冊。1980年代にフライロッドをもってヒマラヤを旅したなんて!
古書店はこういう出会いがあるから面白い。
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「白神山地をゆくーブナ原生林の四季」 根深 誠  中公文庫1998
根深誠の著書を読んだことがなかったので、同じ古書モールで見つけて一冊。
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「ブチ破れ林業の壁 あきらめなければ夢は叶う」 湯浅 勲 全国林業改良普及協会2013
神保町に農文協の農業書専門店があるのを見つけて入店。以前から農文協ファンである私とNは、案の定長居してしまった。
その中で購入した一冊。湯浅勲は日吉町森林組合を改革した、業界では有名人。
本書は未熟な林業従事者からの質問に答えるという形式で構成されているが、ビジネス書としては拙い内容と言える。
それはそのまま森林組合という組織の未熟度や旧態依然とした体質が現れていると思う。
そんな中で湯浅勲は丁寧に、時に厳しく答え、また人間としての成長も説いていく。氏の懐の深さが見える。そのあたりが読みどころ。
しかし、出版物としての編集や挿絵は劣悪。これもまた全国林業改良普及協会というよくわからない、お役所天下り的な機関の姿が具象化している気がしてならない。
ボリュームは軽く、御茶ノ水から八王子に着くまでに読み終えてしまった。


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by akisiko | 2015-03-25 10:47 | | Comments(0)
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“林業再生” 最後の挑戦 天野礼子著 農文協

天野礼子氏が日本の川の本来の姿を取り戻す活動を行っていて、その著書(「ダムと日本」、「川よ」、「川は生きているか」など)も読んだことがあった。

しかしここ数年の彼女が、林業方面でも研究・活動をしていたということは勉強不足であった。
京都大学が提唱する「森里海連環学」を実践に移しながら、より総合的な日本の自然を見据えた活動を精力的に行っているそうだ。

書店でこの本を見つけ、すぐさま購入した。天野礼子と林業がどう結びつくのか?

本書の内容についてあれこれ書けるほど私はまだ林業に詳しくないので、序文より気になった文章を抜き出してみよう。

 十九歳で釣りを覚えてから今日までの三十四年間、私は年間一〇〇日くらい川を歩いてきた。そして五年くらい前からである、自分には川を見ていた右目の他に左目もあって、どうやら森を見て、その行く末を心配していたのだなと気づいたのは……。

 (前略)私も釣り師なのでわかるのだが、飽きるほど釣ると、数年で目が覚める(中には例外もあるが……)。そして両目が開く。川と魚だけを見ていた右目だけでなく、自分には左目もあって、それは「森を見ていた」ということに気づくのだ。

こうした感性から「森里海連環学」なんてステキな名前の学問が生まれるのであろう。

そして古来の里人が苦労しつつも守ってきた生活と自然とのつながりを、私たちは取りもどす方向に向かうのであろうか。

      *   *   *   *   *   *

しかし、林業界に身を置く立場から見える道は、決して明るくないように思われる。

ネオリベラリズムと科学信仰が台等する現代社会において、「森里海」の重要性を、私たちはどこまで理解できるだろうか?

悲観的ではあるけれど、「森」に携わる仕事をしているからといってそれが正の方向に向かっているのか、負の方向なのか、誰にわかるだろう?

泥濘のような困惑。
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by akisiko | 2007-03-07 21:43 | | Comments(5)
造林で扱うほんの数種の樹木は毎日見るので覚えてしまう。
それはすなわち、トドマツ・アカエゾマツ・クロエゾマツ・カラマツなどの針葉樹がメイン。

仕事の師匠の新田さんは、一緒に山を歩いているあいだ天然の広葉樹をたくさん教えてくれる。

これはオニグルミだよ、これはカツラ、ハンノキ、ハリギリ、キハダ。
シラカバ、ダケカンバ、マカバの違いは・・・・。

ところがおれは、いつまで経ってもどれも同じに見えてしまう。
ベネズエラにいたときは、20種くらいの木をすぐに覚えられたのになぁ。

新田さんは倒木を見たって、どんなに離れていたって、何の木か見分けてしまう。
おれにはさっぱりわからない・・・

これは本気になって勉強する価値あり!と思ってこの本を購入。
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「北海道樹木図鑑」 亜璃西社

とてもくわしくて良い本。
たとえば収録されている全596種の、葉の形、芽の形の写真が索引のようにまとめられていて、それらの形状による検索が出来るようになっている。

これは勉強のしがいがありそうだ・・・

ついでに鳥も林道でよく見るので覚えよう。
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「北海道野鳥図鑑」 亜璃西社

これまたいい本で、見ているだけで楽しくなる。
そして写真がすごい。その鳥の特徴を写す決定的ショットが多数掲載。
鳥の写真って難しいんだろうなあ。

これを眺めていると「あ!この鳥ぜったい見たい!」っていうのがある。
鳥に明るくない私は、ひとつひとつそうやって覚えていくよりしょうがないな。

いずれにせよ、こうやって「北海道~図鑑」って名前が付けられるのは、日本国内をみても特徴的な環境がある証でしょう。
「栃木県樹木図鑑」というのがあるかどうかわからないけれど、東日本の中ならばそんなに地域差はないですものね。
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by akisiko | 2006-07-10 18:18 | | Comments(4)
先日、用事があってまた北見に行ってきた。(大型免許交付のため。無事取得!)
例によって、棚が充実したあの本屋へ立ち寄る。
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「アイヌ文化の基礎知識」

アイヌ民族博物館 監修 (草風館)

北海道に住み始めて日が経っていないのにえらそうなことを書くようだけれども、土地の人々の暮しの知恵や慣習を見ていると、どうも他の日本国内の田舎に比べて奥深さがないように感じる。確かに漁師には漁師の、農家には農家の、北海道に生きるにおいて必要な知恵があるのだろうけれども、それには理屈ではない絶対的な「知慧」が見えないような気がするのだ。
それはやはり、ここに住む人の大多数が本州から来たヤマト民族の末裔であり、北海道では短い歴史しか持っていないからであろうか。

北海道には先住民族がいた。
彼らには先土器時代から続く長い歴史があり、厳しく豊かな大地に息づく深い知慧や信仰を持っていた。
しかし現在、その民族の文化はそれほど多く残されていない。というより、ほぼ絶滅したというほうが正しいかもしれない。
それには多数の原因があって、私がここに書けるほど単純なものではないのだが、そのひとつには彼らは文字を持たない民であり、口頭で文化継承するのを常としていたからだという。
一度失われたら、二度と取り戻せない方法で古代から伝えられてきたのだ。

「私たちは耳で聞いたことを、すぐノートに書きつけますが、昔の人たちは全部その場で覚えてしまわなければなりませんでした。その代わり、知識というのはすべて頭に入っていて、いつでも取り出せるようになっているわけです。
(中略)
アイヌのおじいさんやおばあさんに話を聞くと、その物覚えのいいこと、博識なことにいつでも驚かされます。それは忘れてしまったら二度と取り戻せないという気持ちで、いつでも物事に接してきたからです。」

私はこの地で、表面的には現代の生活スタイルを持ち、大量消費社会の一部に所属しながら生きている。
しかし根源的な命がこの土地にある限り、先人の知慧や信仰やあるいは大自然をいつも心のどこかに感じて、それに依存して生きてみたい。

それには、この本に書かれていることを情報として読んだところで何にもならないのだが、文字を持つ民としての私は、そうせざるを得ない。
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by akisiko | 2006-04-07 15:57 | | Comments(0)

雄武町の語源

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北海道地名誌 (北海教育評論社)

雄武町の図書館でこの本を借りる。
北海道の地名にはアイヌ語を由来としたものが多いが、その語源を解説した書である。
各市町村ごとに、山岳、河川、岬・海岸、字名・地区名が列挙されていて、その起源が詳細に記されている。

私の住む町・雄武(おうむ)の語源は「オ・ム・イ」。河口がふさがるところという意味らしい。
オムイ。やさしくも荘厳な語感ではないか。
(というわけで、本ブログのタイトルもそこから拝借して変更することにした)
その名のとおり、岩盤の上を山から流れ下りてきた雄武川の渓相は、下流でいったん停滞し、海に注ぐ終着点は上流の激しい流れが信じられないほどに狭まっている。

もうひとつ、近隣で気に入っている川、幌内川。
幌内という地名は北海道各地にあるようだが、この語源はポロ(大きな・大事な・魚が豊かな)、ナイ(川)の意。これもまた、いい名前である。そんな名を持つ川に足を踏み入れることが出来るというのは幸せとしか言いようがない。

道内のほかの地名にも目を通してみると、古来ここに住んできた民族が自然をよく観察して名づけたものばかりだということに気が付く。
「水の中が歩きにくい川」、「年老いた岬」、「鹿が登ってゆく土地」、「菱を採る沼」・・・。
厳しい自然のなかで生きてきたアイヌ民族の世界観が、現代の北海道に残っているのだ。

それらの名前と土地の自然を過去のものにするか、未来に残すか。
かつてアイヌを滅ぼした私たち大和民族が取るべき道はひとつしかないが、その道は曲がりくねっていばらの多いものである様に見える。
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by akisiko | 2006-03-31 17:40 | | Comments(0)
「アニミズムという希望」 (山尾三省著・野草社)について生意気にも書評じみたことを書こうと思っていたのだけれど、それはあまりに身の程知らずだったということが、この本を読み終えた後の感想だ。

この本は、著者の5日間に渡る琉球大学における講演の記録であるが、わかりやすく論理的で叙情的な語り口とともに多数の詩の朗読や宮沢賢治論、小林一茶論、西洋哲学、インド哲学などなど多彩なテーマを巡ってゆく。その行き着く先、というか基底にあるのがアニミズムだ。

前回ここに書いた、私が読前に思っていたことに対する答えとなるような文章が記されていたので多少長くなるが引用しよう。

「縄文杉は、私にとっては縄文杉というカミの樹なんですが、皆さんもご自分の木というものをこの世界のどこかに見つけるといいと思うんですね。ただ一本の樹木でも、それを自分のカミの樹として持つことができるなら、世界はそれだけで意味を回復します。
(中略)
自分の生きることと死ぬことをかけて大事に出来るような樹木というものを探すことですね。
(中略)
自分の生死を託すほど大事にする木というものを見つけてしまうと、生きるということがずいぶん豊かに、楽になります。
(中略)
それはまったく個人によって成り立つ個人のための宗教です。パーソナルな宗教ですね。パーソナルな宗教の神様を『カミ』といいます。」

「太古の昔よりもっと昔の昔の頃から、人間に深い喜びを与えてくれるものに対して、人はそれをカミと呼んできたのではないかと思うんです。ですからカミの起源は、美しいもの、喜びを与えてくれるもの、安心を与えてくれるもの、慰めを与えてくれるもの、畏敬の念を起こさせるもの、そういうものは何でもカミであり、現代においてもそれはいささかも代わらないと思うんです。」

著者はこのアニミズムという考え方が、現代を生きるにおいて、個人にとっても社会にとっても重要な方法論であるのではないかと論ずる。個人の自由を勝ち得たがために行き場をなくし、経済至上主義という神話に行き詰まりを感じ、環境問題に直面するわれわれが回帰すべき思想だ。

さて、私は今、北海道というカミの地に住んでいる。カミ=アイヌ語でカムイだ。ここにはカミの魚である鮭(カムイチェプ)が住み、山のカミである熊(キムンカムイ)が住む。
足を一歩踏み出せば、そこここにカミが宿っている。それを実感できる土地だ。
この地に住むことになったこと、そしてこの本に出会ったことに感謝をして、明日に向かおう。
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by akisiko | 2006-03-27 19:06 | | Comments(2)
ここから150kmほど離れた北見という地方都市に立ち寄った際に、気の利いた本屋を偶然に見つけた。規模自体は小さい「街の本屋」なのだが、棚の内容が秀逸なのだ。書店人の知徳を見せつけてくれる店といえようか。こういう本屋は、地方都市では見つけがたい存在だ。そして、そんな店に入ると、どうしてもなにか買わずにはいられない。
そこで買った本のひとつがこれだ。
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「アニミズムという希望」 山尾三省 (野草社)

アニミズムとは、森羅万象の中に霊魂あるいは精霊が宿っているという考えである。私も山や森、また海の中に神さまたちがいると思っているし、それが神道のもとになっているということは知っているけれど、それが現在「宗教」と呼ばれているものとどうつなげればいいのか良くわからずにいる。私はいわゆる「無宗教」なのか否か。日本人の多くが仏教・神道・キリスト教ごちゃ混ぜの多種の宗教的イベントには参加するが、日常的には中立である。はたして彼らは無宗教なのか否か。
日本人は自然が即ち神であるという考えの元に生きてきた民族であるけれども、その価値観はいったいどこから来たのか。
これからも自然の庇護の下で生きていくものとして、この本を読んでみようと思った。
次回はこの書についてもっと詳しく書いてみたいと思います。
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by akisiko | 2006-03-23 23:00 | | Comments(0)

北海道新聞社の本


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「しれとこライブラリー④ 知床の魚類」 (北海道新聞社)

こっちに来る前に神田の古本屋街でたまたま見つけたこの本。
貴重な写真が多くて、魚好きにはたまらんです。そして専門的記述が多いわりにとっつきやすい。淡水魚の章は、北海道のサケ科魚類研究の中心人物、小宮山英重氏が執筆。これを読んでいると、長年の研究成果を記した文の行間に、氏の北海道の川に対する熱い想いが見えてきます。

しれとこライブラリー・シリーズは現在刊行中ですが、他にも「知床の哺乳類」「知床の昆虫」「知床の植物」などが出版されているようです。今でこそ知床は世界遺産になって、関連書もピンからキリまで出ている、あるいはこれから大量に出版されるのだろうけれど、こうやって自然の各部をミクロ的・学術的に捉え大衆に知らせる本は少ないと思います。これからこのシリーズを少しずつ集めてみようと思っています。


住んでいる町の周囲100kmには行くに値する本屋など皆無なのだけれど、それでも郷土関連のコーナーには面白そうなタイトルが並んでいます。
先日購入したのはこの本。
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「北海道 山菜実用図鑑」 (北海道新聞社)

山に緑が吹き出す春にむけて山菜を覚えようと買った本です。
写真がきれいで、かつタイトルどおり「実用的」。どのくらいの大きさの芽が取りごろか、わかりやすい。ちょいとしたウンチクが各所にちりばめられていてとても勉強になります。ある草はアイヌの貴重な食糧だったとか、ある草の根は朝鮮人参の代用として使われていただとか。
北海道の地元の人が食べない山菜まで載っていて、著者の山岸喬という人、相当の知識を有すると見た。この人は他にも「北海道薬草図鑑(野生編・栽培編)」(同じく北海道新聞社)なんていうのも書いていて興味をそそられます。

というわけで、北海道新聞社はなかなかいい本を出しているようです。
北海道の自然を一から学びたい私にはもってこいです。
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by akisiko | 2006-03-19 14:44 | | Comments(0)