岩手県 大迫町

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早池峰の麓の川に一日入る。
ここの川も魚は濃く、ポイントごとにヤマメが出てくる。

羽毛で羽虫に似せた毛鉤を巻く。
その毛鉤を流れに乗せてふんわり落とす。
鉤はあたかも水生昆虫のように水面を流れ落ちて行く。
ヤマメがそれを捕食するがためにぱしゃりと飛び出す。

たったこれだけのことがどうしてこんなに面白いんでしょう。



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鉤にかかったヤマメは、手を川の水で湿してから優しく掌におさめる。
なるべく痛くないように優しく毛鉤をはずして、また流れに戻す。
子ヤマメは再び水に浸かると激流の中にすっとんでいく。

いわゆるキャッチ&リリースに異論があるのは承知である。
「釣りはすなわち漁であり、釣った魚は食すのが礼儀にかなっている」

正論である。

しかし。海の釣りならそれもよかろう。
沿岸から釣り人たちがたらふく食べられるだけの魚を釣っても、
それだけで資源が枯渇するほど海の生産量はちゃちではない。

一方、渓流魚の生態系は非常にもろい。
数人の釣り師が一本の沢に入って、彼らの食卓をにぎわせる数の渓魚を持ち帰っただけで乱獲になりうるのだ。
そのうえ、ヤマメやイワナが自然産卵できるような沢は年々減っている。

私がヤマメ・イワナ養殖業に携わっていたころ、毎年数万尾の稚魚を川に放流していたが漁期が終わる頃にはすべていなくなってしまう。定着しないのだ。
ひとつには釣り人が川にいるすべての魚を釣りきってしまうからであり、
もうひとつには産卵できるような自然がすでに残されていないからだ。

ゆえに、渓流で釣りをするものは-これからも竿に重みを感じたいのであれば-魚の命を絶つことを自ら制限しなければならないのではないか。


「それなら、最初から釣らなければいいじゃないか」

これも至極正論である。
が、釣り人にこの理屈は通用しない。
しないから、私は今日も川へ行く。
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by akisiko | 2005-05-25 19:27 | | Comments(0)