釧路川のアメマス

友人と連れ立って釧路川に遠征にゆく。

私の住む町から釧路まで、ざっと300kmはある。本州から見れば北海道はひとつだが、そこは広大な土地なのだ。
車内で2泊しながら、湯を沸かしてカップラーメンをすすりつつ、アメマスという北の魚を狙おうという目論見だ。
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足を踏み入れた釧路川は、ぼうぼうとした冬枯れの湿原の中を大きくうねって進む河だ。
雪の残る葦原に、枯木のように突っ立って竿を持つ。
カモの風切羽根がうなる音が聞こえる、対岸ではシカの群れがこちらをじっと見ている。

状況は申し分ないようにみえる。しかし、ここもまたやはり、荒みきってせっぱ詰まった日本の一部であった。
朝も空気がぬるむ時間になれば、河岸に乗り付けてくる車が増えてくる。
そしてそれぞれ一定間隔を保って釣り人同志諸君が立ちこむ。
同志諸君のやり方は、開高健の言った「やらずぶったくり方式」である。
釣れればそれでよし。魚の顔を見るためには理性も哲学もない、というあれである。
ルアーで駄目ならワームで、それでも駄目なら餌で。鉤は、リリース(釣った後に逃がす)を前提にしているにもかかわらず、例外なくカエシありの三本針。
われわれが入ったポイントの周囲にはこちらの岸に道が一本あるきりである。そこに入れ替わり立ち代り釣り人が入っては魚を叩いて、いじめていく。だんだんと魚もいじけて釣れなくなってくる。
そして噂が立つ。「アチラの岸にはウブな、釣りやすい子が残っているらしい」。
それから人々はボートを持ち込み、対岸までエッチラと漕いで渡り、そのウブな子をいじめにかかる。

流れのたまりに、鰓から血を流しながら白い腹をみせてあえぐ大物が浮かんでいるのを見た。この大物は誰かに釣られて、三本針の掛かりどころが悪かったのか、写真撮影のために長い時間空気にさらされていたのか。

私はそんなエグイ光景を見てしまっても、魚の顔を拝まなければ気がすまなかった。
2日間、霧雨や冷たい風にさらされながら厚い流れにルアーを投げ続けて、アタリは二回だけ。どうやら魚たちのご機嫌の悪い日に当たってしまったようだ。
それでも、やっとの思いで一尾のアメマスに出会うことができた
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北の精・アメマス44cm

鉤の刺さった口辺から滲む赤が、眼に沁みた。

後から聞くと、こんなに魚の反応が渋い状況は釧路川でも珍しいらしい。
それはあるいは、アメマスの抗議の声か、苦痛の叫びか。
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by akisiko | 2006-03-11 21:44 | | Comments(0)